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6月29日(水) 月暦・皐月(五月)二十三日 下弦
柿の子供
柿といえば秋の味覚、というイメージですが、春の柔らかな葉はてんぷらにしておいしくいただきます。
葉が色濃くなり、大きくなるころにはいろいろな花を見るのに忙しくなり、柿のことはつい忘れてしまいます。
そんな6月の半ば過ぎころ、水汲みの途中、はらはらと落ちてくる白い小さな花びらに気がつきます。
葉や大きなヘタに隠れたちいさな花で、すぐに茶色くなったり、落ちてしまうので、なかなか気がつきません。
今年こそはと、やっと写真に収めました。
落ちてしまった小さな柿も、フリルの帽子の子供のようで、愛らしい様がとても好きです。
すぐにだめになるのですが、ひまに任せてたくさん集めて、花びらのように飾ってみたりもします。
これも自然に包まれた中で暮らすぜいたくです。
6月22日(水) 月暦・皐月(五月)十六日 満月
梅雨も中ごろになると、いよいよ虫の季節です。
刺されたり、かぶれたり、野菜の葉を食い荒らしたりと、あまり歓迎できるものではありませんが、気温が上がらなければ野菜の出来に影響が出るし、気温が上がれば虫も出る、仕方がありません。
そんな屋外で、変わった虫を見つけました。
左写真はオオデマリの葉に、毛糸のフリンジのようなものがついているのでヨクヨク見るとモソモソ動いている、派手な毛虫でした。
右写真は、雨に打たれて腐ってしまった材木の中に、きれいな緑の葉に包まれている大きな青虫です、
こんなに新鮮な葉をどうやって入れ込んだのか不思議です。
どんな虫の幼虫なのか。教えていただきたいものです。
 毎年のようにいろいろな虫に刺されて大きく腫れ上がり、何日も苦しむので、今年は早々とヘビイチゴの実を集めて焼酎に漬けています。  
市販の薬ではひかない腫れやかゆみも早く納まります。
虫は怖いし、夏は暑く無ければ困るし・・・
6月15日(水) 月暦・皐月(五月)九日 上弦
急須(きゅうす)
このところ急須造りに多くの時間を費やしています。急須造りは手間が掛かり、細かい作業も多く難易度は高いのですが、その分面白味もあります。急須は、胴、口、茶漉し、蓋、柄、の5パーツからなり、それぞれをロクロで大きさや、フォルム・バランスを考慮し成型してしばらく乾かした後、組み合わせていきます。その際、それぞれ大・小あるパーツの乾燥具合を調整し、接合部分の断面を合わせ、茶漉しも胴の容量に合わせてある程度の大きさ、穴数の調整をします。
 陶器造りは、無骨さや、鋭さ、柔らかさや、優しさ、滑稽さなど、様々な表現を求めていきますが、私の物造りには、そのどれもが必要で、季節や時間の流れのなかでの心情の変化や、使うための器として全体的なコーディネート・バランス、土や釉薬などの素材から受ける印象で、その都度、求めるものは違ってきます。
 いまの急須造りは、やわらかさや、やさしさ、ゆったり感などを表現しようとコツコツ頑張っています。
 陶土も時間をかけての「練り」が必要ですが、もの造りも、たくさんの経験と、集中した時間のなかから「練り上げ」ていくものだと、あらためて感じる梅雨のさなかのこのごろです。
6月7日(火) 月暦・皐月(五月)一日 新月
梅雨備え
 田舎の梅雨は山や畑の緑の成長と連動して、降れば降るほど周囲が緑濃くなるので思いのほかうっとうしくありません。私自身も待ち望むほどではないにしても、嫌いではありません。
けれども、古い木の家に住んでいると雨や湿気に対する備えが必要になります。木の葉や梅の実で詰まった雨樋の掃除や修繕、物置代わりに使っている軒下の大掃除など、なにかと大変です。特に工房の周りは、陶芸の釉薬や材料、もろもろの道具など、庭の草に攻められて、苔などがはびこり,このうえ梅雨のジトジト湿気におそわれると、カビや匂いの元になりかねません.というわけで、整理と床洗いなどきれいにかたずけることにしてやりはじめたのですが、やりはじめると次から次へと気になりだして、だいぶ掃除範囲も広くなってしまいました。
入梅の声も聞こえてきましたが、これで一安心。ゆっくり梅雨のなかの緑を楽しもうと思っています。
5月30日(月) 月暦・卯月(四月)二十三日 
梅の枝打ち
この季節は毎年、落ちた梅の実を拾うのに大変です。梅の実が梅干を漬けるぐらいの普通の大きさになる前に、大量の未熟梅が落ちるからです。工房の屋根に、畑に、道に、前の日にきれいに拾っておいても朝起きて外に出てみると「また、こんなに・・・」と思うほど連日大変なものです。工房の雨樋など梅の実が詰まって雨水があふれたりするしまつです。
そこで、伸びすぎている梅の枝をおとすのです。梯子をかけて木に登り、電線の邪魔になったり密になりすぎたところの枝を伐ります。二本の梅の木の「散髪」はけっこうたいへんで、落とした枝や実の後かたずけにも時間が掛かります。太い枝は薪にして来年のストーブ用にしたり、細かい枝や葉、実などをきれいに掃除すると、二人でやってもたっぷり2時間強になります。それでも何とかやり終えて庭の上空もだいぶすっきりしました。これであとは梅の実の収穫を待つだけです。
5月24日(火) 月暦・卯月(四月)十七日 満月
畑作り
いつもの年よりだいぶ遅くなったものの今年も畑作り開始です。家の前の3坪ほどの家庭菜園と、収穫物の分け前にあずかるべく友人の畑の手伝いです。手伝いのほうは耕運機をかけたり、畝をつくって、マルチという蓄熱や雑草を防ぐための畝カバーのようなものをかけて苗植えや、種蒔きの準備をします。家庭菜園のほうは小さいけれど、あらかじめ木挽き屑や木灰、腐葉土などを鋤き入れる土作りからはじめて、苗や種、有機飼料などの手配をしたり、なにかと大変です。今年は苗の手配に出遅れで、ほうぼうからの寄せ集めになってしまいました。それでもナス、ピーマン、トウガラシ、スティックセニョール、トマトの苗を植え、キウリ、インゲン、オクラ、ルッコラ、ミズナ、リーフレタスなどの種を蒔き、早めに蒔いたミズナやレタスなどの菜ものは既に食べられる状態です。トマトは雨にあたらないように工房の軒下に、木枠の細長い箱鉢のようなものを作り特別扱いします。トマトはなかなかデリケートでこれまでも何度も失敗して、昨年この方法でうまくいったので、特に念を入れての作業になりました。
小さな畑に少しずつ、多種の野菜。毎日毎日、変化しながら成長していくのをまじかで眺めながらすごせるこれからの季節とそれに伴うゆっくりと流れる時間をほんとうに楽しみにしています。これからも畑のはなしは頻繁にでてきそうです。
5月16日(月) 月暦・卯月(四月)九日 上弦
多摩川の水源・分水嶺
以前からずっといってみたいと思っていた、多摩川の最初の一滴の出る所、水干(みずひ)へ行くことができました。 
笠取の会の人たちと水神社の祭典に出席させていただきます。 丹波山村を8時半に出発し、登り口に車を置き登山開始です。 
あいにくの曇り空で残念でしたが、雨さえ降らなければと祈っていたのに、程なく降り出してしまい傘をさしての登山となりました。
 美しいせせらぎを左手に見ながらゆっくりと歩きます。 
まだ新緑も淡く足元に小さな紫のスミレが咲いているだけで、桜も三分咲きくらいでしょうか。 足元ばかり見て歩いているので、花びらを見つけて桜のあるのを知り見上げ見ました。  
途中休憩を入れながら11時ころ山小屋に到着。 疲れた人は小屋で休み、Tさんと二人水源へ向かいました。
Tさんが15年位前に子供の遠足で来たときはとても狭い道だったそうですが、今ではゆったりとした歩きやすい道になっています。 
途中で木が不自然に切られていたり、樹皮が剥ぎ取られていたり、大木が根こそぎ倒れているのを目にしました。 鹿や猪などの仕業だということです。 新しく植林した苗木を竹や金網で保護していますが大変な労力です。 
自然との共存は大変だなあと思いながら上り下りして、多摩川・荒川・富士川への分水嶺の印の三角柱を過ぎ、20分ほどで水干に着きます。  
写真でしか見たことのなっかたそこはとても小さく、けれどもイメージ通りひっそりとした素敵なところでした。 後から1升ビンを担いできた山の達人Kさんたちが神様にお神酒を上げると言うので連れて行ってもらいましたが、そこは私にはロッククライミングに近いほど恐ろしく、写真を撮ったり手を合わせるのもほどほどに小屋へ戻りました。 
水神社の祭典は、昔は盛大に行われていましたが、人口の減少とともに廃れてしまっていたのが三年前に復活され、毎年5月の第3日曜日に開かれるようになり。今年は100人以上も集まりました。 
山小屋の広場ではテーブルが準備されていて、てんぷら(たらの芽・コシアブラ・アカシヤの花・八重のヤマブキ)漬物などが用意され、挨拶・乾杯・唄の後温かい豚汁などありがたく、とてもおいしくいただきました。 ごちそうさまでした。
下りは雨のため滑りやすいところ何箇所かありましたが無事下山。 登山口に着くころになって久しぶりの青空になって少し悔しい気もしましたが、とても楽しい一日を過ごすことができました。  
5月8日(日) 月暦・卯月(四月)一日 新月
桜の花の塩漬け
春の味覚といえば、なんといっても苦味です。山菜・春野菜などの野趣あふれる苦さは春の訪れを実感させてくれ、身体は冬から目覚め、冬の間、体内に蓄積された老廃物が芽吹きの苦味パワーで洗い流されると思えるほど舌に、脳に、身体に刺激的で芳醇な味に感じます。フキノトウ、山うど、タラの芽、コシアブラ、山椒、ノビル、アサツキ、筍,わらび、こごめ、・・・・・・などなど、淡い苦味、程よい苦味、強烈な苦味、それぞれ味わい深く春には欠かせません。しかし、この旬の味はそれぞれ採れる時期が短く、今年のように暖かくなったと思ったらきゅうに寒くなったりと、春の訪れが不順だとなかなか入手が難しいものです。ほんの一日採るのが遅れただけで台無しになってしまうこともあります。
そんなわけで、今年は桜の花をレパートリーに加えようと、友人とおっさん二人が揃って花摘みに出かけました。その友人の親戚筋の庭にソメイヨシノと八重桜の木が数本あり、ソメイヨシノは既に散ってしまい、遅咲きの八重は今が満開だということで行ってみたのですが、満開はやや過ぎてちらほら散り始めています。桜の花は塩漬けで保存して、桜湯やちらし寿司、手作りパンに入れたり、祝い事の膳の添えものに使うつもりでしたが、塩漬けにするのには花は咲ききらない七部開きぐらいの蕾が良いということです。それでもと、脚立を使って摘み始めますが、摘もうと手を添えるだけでハラハラと花びらは散ってしまいます。篭に少したまったところで、そこは諦めてもう少し日陰の別の場所に移動してみましたが、そこも少々遅すぎました。帰ってきて、篭の中の少量を妻が漬けようとして水洗いしただけで、また花びらが取れて水に浮いてきます。それでもなんとかそっと漬け込みましたが、どんなことになるやら?。
そこで教訓。季節の旬はまことに微妙、手に入れよとするなら毎日、朝晩、チェックすべし。
来年こそは、きっと・・・・・。
5月1日(日) 月暦・弥生(三月)二十三日 下弦
リスの乱入事件
春とはいえ朝・夕は肌寒く、薪ストーブをまだしまえないでいます。 
お客様の食事も中休みとなった午後8時ころ、夫が2階から青ざめて降りて来ました。 
何事かと問うと「リス・・が」と小さな声。(亀はゲッシ目が大の苦手) 
2階へ行くとトンビが梁の上で何かをじっと見つめています。 テレビを見ていたら、ガサガサとして何かがズルッと落ちてきて、またあわてて上へ駆け上ったとのこと。 
このままでは猫の狩りの餌食になるだけなので、まずは猫を外へ締め出し、外から入れない窓を開けて”自然に出ていってもらう作戦”です。これはモモンガや鳥・よその猫などの侵入に使いますが、時間が掛かるのが難点です。 
あちらこちら移動して脱出しようとしていますが、結局屋根受けの一番高いところで大きなまん丸の目がこちらを見ているばかりです。
モモンガならばここで飛ぶのですが、じっとしているのでやはり子供のリスのようです。 
川側の木をいつも移動しているリスの子供でしょうか。 
柱を降り始めたので、網での捕獲作戦にし、お客様にお断りを入れて、1階であっけなく捕獲しベランダへ逃がしました。
お母さんのいる木に一番近いところなのですぐに帰宅できたと思います。 
やっと家に入れてもらえた猫たちは、しばらく梁を歩いて匂いをかいだり、上をじっと見つめたり、あきらめきれないようでした。
life 里山の生活文化
日々の暮らしのあれこれを思いのままに綴っていきます。
季節の移ろいや、田舎の暮らしで感じたことをほぼリアルタイムでお伝えします。
4月24日(日) 月暦・弥生(三月)十六日  満月
417歩の水汲み
春になると我が家では水汲みが始まります。妻と私のどちらかが、417歩(行き上り坂215歩・帰り202歩)の距離を歩いてほぼ毎日、12Lほどの水を汲みに行きます。冬の間手を切るほどの冷たい水道の水が気温とともに温んできたように感じて、いつも冷たい神社裏の湧き水がこいしくなるのです。水道水も同じ水源なのであまり変わらない気がするのですが、ひんやりとした林の緑の中から、わずかでも時間をかけてわざわざ汲んでくる水のありがたさも相まって、ことのほかおいしく感じます。
ここでの生活も早十年になりますが、気分や心を満たすために、わざわざやらなくても済むことをわざわざ時間と労を費やす。そのプロセスや結果を楽しみ、充足するという癖がそなわった気がします。田舎での生活は季節や自然の移り変わりに敏感にならざるをえません。農作物や作陶、身体の健康にも直接影響するからです。以前だったら「面倒くさい」と思っていたことがなにやら面白く、ありがたく思え、いろんな「わざわざ」を楽しんで暮らしています。
また、自然を身近に感じ、自然がもつ「普遍」に接することで、「日々の暮らしを丁寧に生きる」ということの意味を考えさせられます。「丁寧に暮らす」ということで見えてくるものが、あまりにも多いと感じる季節の変わり目のこのごろです。


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