季節が移る。季節が流れる。というけれど、
その時、それ自体の時間の流れを体験していることは、知覚できない。
枯れ枝に芽が出て、葉が繁り、青々とした木になる。
地面に小さな芽が出て、たくさんの雑草でおおわれる。
爪がのびる。髪が長くなる。背丈は伸び、、シワもふえる。
知らなかったことを覚え、覚えていたことを忘れる。
自然の変化により、身体の成長や衰退により、
結果として、時間が流れていたことは示されるが、
今、時間が流れているというリアルな感覚は無い。
結果としての時間の流れは、過去のもの。
現在(いま)、流れている時間は、未来に続くかもしれない不確かな時間。
自然と対峙していると、様々に変化する様々な時間の流れがあることに気づく。
短い秒や分で変る水の流れや陽の光の移ろい。
月の満ち欠け、地球の自転による太陽の位置。
繰り返される季節、更に繰り返される年月。
十年前に植えた木蓮の幹の太さ、成長の証し。
「不易流行」
どんなに月日は移り変わっても、朝の来ない夜はない。
芭蕉の世界観は、こんな感じなのだろうか?
どんなに息を止めても、目の前の時間は動いている。
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